独立という第2の転職での試練とベテラン編集者の凄さを痛感する

編集者の学校なる大作を残す現役ジャーナリストの編集者の凄さ

S・K氏 ⇒ A・T氏 ⇒ S・K氏という人々の手の上で処女作を得た。

 

最初の転職先での指導、そして第2の転職の独立で得た人脈…

 

恵まれていたと、つくづく思う。

 

 

第2の転職での試練

転職での試練

転職での試練

そしてその処女作に、当時大手出版社の第3学芸部長だったS・T氏が評価してくれた。

 

人を介し、『N証券 人材開発会議』なる一冊を上梓する機会を与えてくれた。

 

同時に出版社の後輩で、月刊Eの副編集長だったM・M氏を紹介してくれた。

 

と記す限りは第2の転職はスムーズに、となる。

 

がM・M氏( 2013年現在大学数校の講師・准教授、「編集者の学校」なる大作を残す現役ジャーナリスト )からは、編集者の凄さをいやというほど学ばされた

 

この出版社の編集者は自身では原稿を書かない代わりに、中途半端な物書きでは足元にも及ばない情報収集力・整理力・構成力を有している。

 

中でもM・M氏はその最右翼だった。

 

ベテラン編集者の凄さ

月刊誌の最初の原稿は、「光ファイバー開発物語」がテーマだった。

 

最初に入稿してから誌面に載るまで、半年かかった。

 

〆切の時期になると「明日○○時( 夜中である )に来い」と連絡が入る。

 

指定される場所はいつも、出版社の片隅にあった古い会議室。

 

「こことここを書き直してくれ」と言い残すとM・M氏は、ソファーに横になりイビキをかき始める。

 

そしてなぜかいまでも疑問だが、手直しが済むのとほぼ同時に起き上がり、再度指示をしてまた眠った。

 

6か月目の「よし」がでるまで、毎月末は夜明けまでそんな仕儀を繰り返し続けたものだった。

 

私が取材をして知りえた知識以上の知識を有していたのだから、グーの音も出なかった。

 

若かったから、またなんとしてもこの世界で勝ちたいという思いが、6か月間の源泉だったと自負している。

 

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