私の先輩の転職経験・体験記

転職とはこれこそ自分の仕事と確信することを行う場所を変えること

私の先輩の転職経験・体験記

当カテゴリーページより、サイト管理人の出身校の先輩で、新卒で出版業界に就職し、その後30代に転職、さらに60代に3回目の転職を経験された男性のアドバイス記事を紹介します。

 

30代で転職をし、その後は自営、さらに60代となってからの転職などの経験談ですが、インターネットが普及する前の時代で民間の転職支援サービスもなく、もっぱら職安をメインとした転職や再就職活動の記録となっています。

 

先輩の言葉、「転職とは、これこそ自分の仕事と確信することを行う場所を変えること」に私は完全に同意をします。賢くて納得のいく転職で、「自分の仕事と確信することを行う場所」を見つけましょう。

私の先輩の転職経験・体験記 記事一覧

満足の就職
モノを書く仕事に就けた満足の就職と30代の転職の引き金

私が大学を出て最初に就職し、社会人の第一歩を踏み出したのは、旧日本短波放送(現ラジオ日経)であった。そして、その会社を退社し、最初の転職・再就職活動をしたのは、30歳を過ぎた時だった。モノが書ける会社への就職を希望モノ書きの仕事を希望「ものを書く仕事がしたい」という漠然ではあったが一心でもあった私には、満足のいくスタートだった。幸い証券の街、兜町( 記者倶楽部担当 )に配属になり、まずは日々「朝ザ...

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取引先企業のスクープ記事
1回目の30代での転職の引き金となった取引先企業スクープ記事

記者発表で名刺を交換した企業の役職者たちにアポイントを取り、直接取材に出かけるようになった。企業への直接取材30代で最初のスクープ記事当時は、いわゆる夕刊紙(誌)が人気になりはじめていた時代。いまは姿を消しているが、某大手出版社が「夕刊ニッポン」を発行していた。私が籍を置いていた倶楽部のキャップが株式原稿を書いていた。そのキャップに、「電話取材でなく、企業に直接取材に行け。合同記者発表や電話取材で...

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あても無く退社
転職・再就職先のあても無く退社したが今でも後悔はしていない

初のスクープをもたらしてくれた信号機メーカーのA社の主幹事証券( 企業の資本政策や金融政策に携わる、主たる証券会社 )B証券会社から、すぐさま私の勤務する会社に連絡が入った。スポンサー会社からのクレームスポンサーのクレーム「A信号機製造会社に関するスクープ記事、つまり“今期予想下振れの可能性”の根拠、取材源を示せ。我々ですら、流された原稿の内容など全く把握していないのだから。」という強烈な抗議が、...

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求人情報誌で見つけた就職先
職安を通じ再就職先を探し転職求人情報誌で見つけた就職先

30代で最初の転職である。事前に転職の準備など出来ているはずも無く、蓄えなど微々たるものであった。職安を通じての再就職先探しの日々30代で再就職先探し失業保険の申請をした上で、中期戦覚悟で再就職先、職探しを始めた。後にも先にも失業保険の世話になったのは、この時だけ。失業保険の給付を受けるというのも( 現状は知らないが )当時は、容易ではなかった。ごく少数ではあったが、物書きも範疇に入るような再就職...

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先輩から命じられた業務内容
転職先の職場で先輩から命じられた業務内容とアドバイス

K・T氏は面接で、「1年間は試用期間だ。採用するかどうかは1年後に決める」と切り出した。そして、こう続けた。試用期間の1年間に行うこと転職先での先輩の指示「帰る時、証券新聞を1紙買っていけ。面白いと思った記事の会社を、最低2社選んで翌日出てこい。朝の挨拶などいいから、選んだ会社の取材に即刻飛び出せ。アポイントなどいらない。夕方戻って、訪ねた会社の記事を書け。1社1000字だ。広報マン( 当時はまだ...

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信託銀行の常務取材
鮮烈に覚えている転職先での信託銀行の常務取材の想い出

転職先ではK・T氏の世話になり2年目以降、徐々にではあるが任される媒体の量も増えていった。その分、きつさも増した。幾多の思い出があるが、鮮烈に覚えているのが、ある信託銀行の常務の取材である。アポイントが取れない信託銀行の常務転職先での想い出朝一番に、こう命じられた。「今日中に、C信託銀行のD常務から○○に関するコメントを取ってきてくれ。俺の名前を出してアポイントを取ってもいいから。D常務のコメント...

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独立し人脈に恵まれる
第2の転職として独立し人脈に恵まれた好スタートをきる

転職先の経済評論家K・T氏の元で都合7年間鍛えてもらい、約束通り会社を辞めて独立した。有限会社とはいえ、一国一城の主となったわけである。社員ゼロの独立第2の転職・独立とはいえ、「自分は人を引っ張っていくタイプではない」と自覚していたので社長兼営業マン兼経理マン兼書き屋、つまり社員はゼロ。生意気を言わせてもらえば、自己分析のお蔭でその後今日にまで至ることができたと自負している。バブル期、雨後の竹の子...

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独立という試練
独立という第2の転職での試練とベテラン編集者の凄さを痛感する

S・K氏 ⇒ A・T氏 ⇒ S・K氏という人々の手の上で処女作を得た。最初の転職先での指導、そして第2の転職の独立で得た人脈…恵まれていたと、つくづく思う。第2の転職での試練転職での試練そしてその処女作に、当時大手出版社の第3学芸部長だったS・T氏が評価してくれた。人を介し、『N証券 人材開発会議』なる一冊を上梓する機会を与えてくれた。同時に出版社の後輩で、月刊Eの副編集長だったM・M氏を紹介して...

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書き屋という仕事
60代での3回目の転職で会社を閉じたが書き屋という仕事を続ける

還暦を迎えるのと同時に、3回目の転職を余儀なくされた。60代での転職である。責任を時代の流れに転嫁するつもりはないが、主たる土俵としてきた金融・経済・ビジネス関連の執筆が可能な紙媒体が激減したのが大きな要因であることは事実である。3回目の転職で会社を閉じた60代で3回目の転職維持が難しくなったため会社を閉じた。閉めるに際し、いい時期に恵まれたことに酔いしれていた現実を、痛感させられた。仕事に必要な...

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自分の仕事と確信すること
転職とはこれこそ自分の仕事と確信することを行う場所を変えること

時代を認識しろ、という声が飛んできそうだが、転職とは「仕事を変えること」ではない。転職とは、「これこそ自分の仕事と確信することを行う場所を変えること」と、考える。金融・経済評論家の先輩のご子息の転職転職とは一回り上の先輩に、M・A氏がいる( 72歳で急逝 )。世話になった。ある大手通信社は、加盟する地方新聞に講演会の講師の派遣を仲介している。講師群に入れたのも、M・Aの推薦だった。証券会社を経て金...

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