改善提案は無視され新規引き合い物件は対応拒否され雇用条件変更

社長の息子である常務へさまざまな改善提案を行う

常務の耳を疑う回答に私は、「いや、それでは遅すぎます。いや、もう既に遅れをとっています。

 

無論イニシャルコストは必要ですが、そのソフトに慣れる、使いこなすにも時間は必要です。ですから、すぐにでも導入しましょう。」

 

 

全て拒否された私の改善提案

 

常務への改善提案

常務への改善提案

装置を設計製作するサプライヤーでは、10年以上も前から常識となっているCADソフトの導入だけでは無く、色々な提案、改善案を常務に提示した。

 

しかし、私の提案はことごとく拒否された。

 

正確に言えば、「反応無し」で、Yesとも、Noとも回答は無かった。

 

さまざまな改善のための、会社発展のための提案を常務に行った。

 

レポートにして、何十項目を改善すべき点として指摘し、私なりの具体案も提示した。

 

しかし、それらに対して1つも何の反応も常務から無かった。

 

そもそも、私の提案内容を精査しているとも思えなかった。

 

何故なら、明らかに常務の技術レベルでは分からないと思われる内容に関しても一切質問がないからだ。

 

糠に釘、私はそう感じた。

 

変化を嫌う旧態依然の体質

それでも私の転職5社目という新天地で私は期待に沿うべく、昔の知り合い、新規の顧客、それぞれ新しい引き合いを聞き出し、もしくは参考見積り依頼を会社に持ち込んだ。

 

しかしそれらに対して、技術検討を行うべきエンジニアリング部署の責任者の判断は、

 

「これは我社では経験の無い装置、また我社には、ふさわしくない装置、なので見積り、技術検討は行えない。」

 

これの繰り返しであった。

 

これならば、我社でも対応できるであろう、設計できるだろう、造ることができるだろうと引合い案件を持ち込んでも、会社側は「対応出来ない」の一点張りであった。

 

仕方ないので、私が自分で見積り仕様書を作成し、大きくは外れないだろうという概算金額を顧客に提示した。

 

しかし、あまりにも時間を無駄にしてしまい、ある新規の顧客にアポイントを取ろうとしたら、

 

「今さら何しに来るの…? 見積り依頼しても、ちっとも出て来ないから、もういいよ来なくて。」

 

と言われてしまい、さすがに私も精神的にもダメージを受けた

 

その都度、何とか関連部署に積極的に動いて貰おうと、常務には直訴をしたが、山のように最後まで微塵も動くことは無かった。

 

「この俺は40代で何のために転職したのか…」

 

九州への赴任命令と雇用・給与条件の一方的な変更を受ける

転職先での私の改善提案が受け入れられない事に歯痒い思いをしていた時、転職5社目の会社常務より「九州で営業をして欲しい。」と言われる。

 

九州で新規顧客を開拓し営業展開をする業務命令であった。

 

実は私が入社して数日後、それまで九州で営業をしていた営業マンが退職したのだ。

 

さらに入社数か月で給料を含む雇用条件も変更された。

 

九州営業の依頼を受ける

九州赴任と雇用条件の変更

九州赴任と雇用条件の変更

ちなみに、その九州営業担当の前任者は入社して数ヶ月で退職したとの事。

 

当時東海エリアでは、この転職5社目はどの顧客にも、まともな対応が出来ていなかった、しかし九州に行けば現地で採用され九州オフィースで仕事をしている若いメカのエンジニアが居る。

 

彼に依頼すれば、顧客からの新規引合い案件に対して技術提案も出来る、そう考えて常務からの依頼を快諾した。

 

こうして、九州への出張ベースでの営業を開始した。

 

しかし2008年の景気悪化、それがスタートしたタイミングでもあり、いくら新規の顧客を訪問し、会社プレゼンテーションを行っても全く反応の無い状態であった。

 

そんな中また常務より、こんな発言があった。

 

「入社時に、そういう条件は提示しなかったが、年の半分は九州に滞在して欲しい。

 

また貴方は年俸契約なので、今まで支給していた出張手当ては無しとします。

 

そして、年俸での給与支払いも取り止め普通の月給制にします。

 

つまりボーナスは、その時の会社の業績如何で支給額を決めます。」

 

雇用条件の変更と景気悪化

こうして入社して、数か月で雇用条件が変更された。

 

世間の、そして世界の景気悪化…

 

それは仕方ない、そう感じたが、一応入社時の約束は年俸を12ヶ月で割り支給、つまりボーナスは年俸に含まれるのでボーナスとしての特別賞与は無い、という条件であった。

 

無論、九州での滞在も入社時には全く話は無かった。

 

会社が九州にオフィースを構えていること自体、説明は無かった。

 

しかし状況の変化、仕方ない、頑張ろうと思っていた。

 

当時の私の給与は、その会社の管理職の中でも破格の額であったし、その事は私も承知していた。

 

私の、この給与が会社にとって負担に…

 

そういう思いも多少あった。

 

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