中国上海プロジェクトのマネージメントが転職の契機に

前回の設計者をプロジェクトメンバーに組み入れられずスタート

2000年に私がプロジェクトマネージャーを勤めた中国の上海プロジェクト、それは結果的に約1億8千万円の赤字で幕を閉じた。

 

その赤字で幕切れをした結果が、その後の私の転職、再就職の始まりだった。

 

 

またもや赤字プロジェクトを担当

赤字の上海プロジェクトを担当

赤字の上海
プロジェクトを担当

2000年からスタートした上海プロジェクトは、そもそも収支がギリギリの条件で受注した。

 

当時、名実共に世界でナンバーワンの国際的な事業展開をするアメリカの自動車会社が、やはり中国でナンバーワンの会社と上海で設立した合弁企業が、私が責任者であった上海プロジェクトの顧客であった。

 

今後の私が勤めていた会社の海外展開、また中国での市場での展開を考え「入場券」を買うつもりで、採算割れ覚悟で、注文を受けた。

 

やはりライバル会社との受注競争であった。

 

そういう意味では、転職先3社が受注した海外物件と全く同じ背景を持つ案件であった。

 

前回のリピート性が高い物件

採算割れが、ほぼ必至のプロジェクト… また、こんなプロジェクトか…

 

私の転職4社のこの会社では今回の2000年上海プロジェクトを受注する以前に、既に同じ設備をグローバル企業の顧客の南米工場に納入した実績があった。

 

その南米工場プロジェクトに参加した設計者、そして現場のスタッフが私の上海プロジェクトに参加すれば、同じ仕事なのだから2回目のコピーとして、製作・納入コストが削減できるであろうと考えた。

 

唯一の頼みは、前回のノウハウが生かせる、同じ製品を生産する設備をもう1式設計・製作するのだから、前回の図面、資料、それらを活用すればコスト削減が出来るだろう、という考えであった。

 

私の上司で当時副社長であったボスも私も、2000年上海プロジェクトの最初のメンバー会議で、前回の経験を充分に活かす事をしなければ赤字となるので、全員そのつもりで業務にあたって欲しいと説明をし、念を押した。

 

しかし前回の設計担当が、他のプロジェクトから抜けられず、全く前回の南米プロジェクトに関与しなかった設計メンバーとスタッフで私の上海プロジェクトメンバーが構成された。

 

これが最初の躓き、ひいては私の転職の契機であったと思う。

 

上海プロジェクトの予算不足と必至の採算赤字

私が責任者を務める転職4社目の上海プロジェクト… 

 

収支ギリギリでスタートしたプロジェクトであったが、購入品や協力会社への発注金額をネゴしコスト削減を図ったが、期待されたリピート性とは裏腹に設計ミスが頻発し、設計構想に時間をかけていないために採算の赤字は必至となった。

 

前回の経験者である設計者、エンジニアの参加が無く、殆ど新規の設計となり、また設計ミスが頻発し、他人事のように毎回毎回、「予算追加申請」が設計部から提出された。

 

簡単に言えば、「設計の工数が足りません、もっと追加してください。」という泣き言だ。

 

ギリギリの予算管理

プロジェクト予算不足と採算赤字

プロジェクト予算
不足と採算赤字

当時の私のボスは副社長でもあったので、役員として追加予算の承認業務があったが、次から次へと出て来る追加予算申請書に、「たまには自分の給料から追加予算を出せ、と言ってやりたいよ!」と、その申請書類を投げ捨てるように言ったものであった。

 

私はプロジェクトマネージャーとして、購入品を、また協力会社への発注金額を、ギリギリまで交渉もした。

 

顧客と我社の間に入っている総合商社のマージンも、商社に事情を詳しく説明し、かなり節減して貰った。

 

顧客からの仕様の変更や追加希望内容は、予算に余裕のあるプロジェクトならば、サービスで、つまり無償で対応する内容の項目でも全て追加費用を請求した。

 

それで何とかプラスマイナスゼロ、そう考えていたが…

 

装置の設計ミスは装置を現地に据え付けてからも、我々を悩ませた。

 

現地工事の工数オーバー

その結果、私自身、プロジェクトマネージャーとして8ヶ月、上海に滞在することを余儀なくされた。

 

上海でも予算をギリギリまで詰める努力をし、現地協力メーカーにもずいぶんと無理を聞いて貰った。

 

ちなみに当時の中国人スタッフと、その後上海で偶然に再会し「あの時の貴方との仕事は楽しかった。ただ貴方は普段は、優しいけど、お金の事、支払いの事となると怖かった…」と笑いながら言われてしまったほどだ。

 

予算の無い、赤字必至の上海プロジェクト…

 

装置の据え付けのために、現地の中国上海に滞在していたメカニックと電気のスーパーバイザー約15人の我々プロジェクトメンバーは、上海での滞在8ヶ月という期間、週に1日の休みで、それなりに努力を続けたが、もともと設計構想が充分に時間をかけて成されていない装置は、現地の顧客の工場で、いくら手直しを続けても、根本的な解決には成らない。

 

毎日毎日、不具合に対する会議と不具合改修作業の日々が続いた。

 

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