新卒で就職した生産設備製造会社の誇り無き営業の仕事に失望

生産能力をはるかに超える受注をする製造メーカー

1980年の春、大学を卒業し新卒として入社した第1社目となる会社は、機械・装置の設計・製作の製造メーカーであった。

 

当時、日本の製造メーカー、特に自動車メーカーは生産現場の3K、つまり「きつい・汚い・危険」な作業や労働を省くことが命題であった。

 

 

バブル景気の始まりの時期に就職

20代 会社への失望と転職

20代
会社への失望と転職

さらに製品の製造コストを下げるために、現場の作業者を減らす省人化と効率化、同時に製品の高品質化のためにFA(ファクトリー・オートメーション)の推進を競うように図っていた。

 

私が最初に就職した会社は日本でも有数の自動組み立て装置メーカーで、自動車メーカーのFA推進という時代の波に見事に乗り、その会社が持つ年間の装置製造能力の数倍の受注額の仕事を請けていた。

 

非常に会社の業績が良く利益率が高く、給与、また入社1年目で最初に支給されたボーナスの多さにも、かなり驚いた記憶がある。

 

常に負荷オーバーの受注状況

ただ従業員300人ほどの会社生産能力を、はるかに超える装置の受注をしていたので、新規案件は全て契約した納期より遅れ、また日本の自動車メーカーの有力なメーカーへの納期対応を優先し、第3位以下のメーカーの対応は後回しという状態が慢性化していた。

 

さらに納期遅れで納入した装置も、ユーザーの担当者が生産開始の責任を取る事を避けるため、私が勤務していた会社での調整を行なっている段階での納品、つまり未完成のままでの顧客工場への納入となり、そのため完成度が低く、ユーザーの工場納入後も現地で不具合が多発していた。

 

それが現状で、その状況も慢性化していた。

 

そのため、営業の仕事、実務は各顧客への納期遅延、また納入した装置の立ち上がり遅れの謝罪に始終していた。

 

私は、本社勤務6か月を経て東京営業所への転勤が命じられ、東京営業所勤務であったが週5日勤務のほとんどが、その謝罪業務にあてられた。

 

毎日毎日、色々なユーザーの工場に出向き、頭を下げ続ける日々…

 

非があるのは自分の勤める会社、顧客には微塵も非は無い…

 

こんなことをする為に、この会社に入社したのではない…

 

謝り続ける毎日に、率直に嫌気を強く感じていた。

 

社長の経営方針と会社の顧客へのスタンスに嫌気がさす

この自分は顧客に謝るためだけに営業をしているわけでは無い… 社会に出たわけでは無い…

 

そう感じる日々であったが、その会社の技術力は高く、とある工業製品に関しては日本でトップの性能と評価を得ており、ある時期から私は、その工業製品をほぼ専属で販売する営業担当となり、独占的な技術力からかなりの業績を上げた。

 

オンリーワン製品なので、否応なしに売れたのだ。

 

営業成績がトップに

謝り続けるだけの営業に失望した20代

謝り続けるだけの
営業に失望した20代

その工業製品の営業をしている限りに於いては、会社に対する不満も仕事に関する不満も無かった。

 

しかしその他の装置販売の面では、いわゆる典型的な「殿様商売」で我社の製品が欲しいならば、それに見合った金額を払うならば、そして言いなりの納期まで待つならば「売ってやろう」という姿勢であった。

 

顧客に直接、顔を合わさない上層部の役員クラスは、それでも良いだろう。

 

しかし第一線で活躍する面々には、毎日がストレスの闘いで、実直で真面目な設計部出身の当時の私の上司などは「敵は社外では無い、社内に居る!」などと良く、こぼしていた。

 

上司の直訴

そういうストレスが余程たまったのだろう、ある日社長が東京営業所を訪問し、その夜社長が設けた一席で、当時の私のその上司の課長が、男泣きをしながら社長に直談判した。

 

「もうこれ以上、新規受注は止めさせて下さい。会社の信用と評価が下がる一方です。」

 

と訴えるも、社長からの返事は、

 

「納期など受注してから考えればいい、出来上がった時が納期だ。」であった。

 

この遣り取りで、この会社は、せっかく高い技術を持っているのに、あまりにも商売が汚い、こんな経営方針の社長、そんなスタンスの会社にいつまでも居て良いものだろうか、そう感じるようになった。

 

見積と同じ金額をを払うならば、言いなりの納期まで待つならば売ってやろうという、いわゆる典型的な殿様商売の姿勢の会社に、いつまでも居ていいものだろうかと感じるようになった。

 

良い機会さえあれば転職をしたいと考え始めた。

 

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